手しごとと時が育てる味わい「都錦味淋漬」
田中長奈良漬店には、創業以来変わらない信念があります。「時間こそが最高の調味料である」。
この言葉に忠実に、田中長の奈良漬ならではのみりんを活かした味わいを守りつづけてきました。
すべての工程に二年ほどかける月日へのこだわり。
そこに職人たちの手しごとが加わって、はじめて都錦味淋漬のまろやかな味わいは完成するのです。
熟練の技と感覚を頼りに、何度も漬けかえられる奈良漬は他では味わうことのできない香味を醸します。
きっかけは技術と伝統の出合いから
奈良漬の起源は、その名のとおり奈良時代にあります。塩漬された野菜を酒粕に何度も漬けかえることで塩分をぬき、酒粕のうま味を野菜にとじ込めていく漬物です。うりをはじめ、きゅうり、すいか、なすなど、全国から優れた野菜が集まる京都で育った京野菜が用いられました。寛政元年、田中長奈良漬店の初代、和泉屋長兵衛は当時生業としていたみりん製造の技術を伝統の奈良漬と結びつけます。それまで辛口の保存食だった奈良漬に自家製みりんを活かしたまろやかさを加えることを考案し、田中長奈良漬店の歴史が幕を開けました。
「都錦味淋漬」情緒ゆたかなその名の由来
田中長の奈良漬を特徴づけているのは、なんといってもまろやかな香味。その元になっているのがみりんです。かつて田中長が製造していたみりんの商標が”都錦”でした。それを、みりんの特長を活かした奈良漬の名称に冠して「都錦味淋漬」としました。そもそも都錦とは、古今和歌集のなかにある「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」という歌の一節に由来します。現在は、田中長奈良漬店の商標として登録され親しまれています。
田中長奈良漬店の歴史
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江戸後期
初代・田中長兵衞は、南山城(現在の京田辺市)より京都に進出、現在地にて味淋醸造を生り業う。また、その傍らに奈良漬(都錦味淋漬)の製造を始める。屋号を和泉屋と号し、代々「長兵衞」を襲名する。
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明治期
味淋醸造を本格化。同時に味淋の風味を活かした奈良漬(都錦味淋漬)が評判を呼ぶ。「都錦」は元々弊店で醸造していた、味淋・焼酎の商標であった。
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昭和10年代
大正・昭和にかけ奈良漬を本格的に展開する。 原材料や人手の確保が困難になり味淋醸造を取りやめる。
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昭和20年代~30年代
戦時中の停滞を抜け、戦後に奈良漬を復興、発展させる。昭和38年8月株式会社田中長奈良漬店として登記。
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昭和40年代後半~50年代
高度経済成長期には、贈答用の需要が拡大し、その代表格として業績を伸ばす。漬け込む野菜も従来のうり・なす・すいか・きゅうり以外にも工夫し広げる。
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昭和後半~平成にかけて
全国の京都物産展への出展にも取り組む。
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平成29年
本社・本店社屋を改装。